シャボン

今日は、最近思っていることを書いてみたいと思います。

■私がよく言われる「言葉」

私は「ピアノ教室コンサルタント」という旗を立てて、
今から6年前の、2008年に起業しました。

今でこそ同種のサービスをされる方が増えてきましたが、
当時は、かつてない業種ということで珍しがられました。

今でもよく言われることは、

「よくこんなことを思いつきましたよね」
「こんな活動をしている人がいるのは驚きでした」

また、海外でピアノを指導されている先生には、
こんな風におっしゃっていただいたこともあります。

「日本でこういう考え方をする人がいるのは新鮮です」

■誰にも相談できない、という雰囲気

ピアノ教育業界では、教室運営を赤裸々に語ることは、
ある意味、憚れる風潮があったように思います。

(これはもしかして、今もそうかもしれません)

ピアノの先生は「教育」や「芸術」といった、崇高で、
揺らいではいけない大きな「柱」を両腕に抱えています。

ここが脆くては、自分の存在価値も薄らいでしまうでしょう。

そんななか、「ビジネス」や「利益」といったキーワードが
近寄り難いものであることも言えるかと思います。

ピアノの先生同士でも、お互いの教室や生徒募集について、
レッスンや大事なお金について、

どうも切り出せない。相談できない。

その背景にあるものが何かは、ピアノの先生であれば、
誰もが知っていることでしょう。

■抑えきれない感情がこみ上げる

6年前の私は、かつてない肩書で活動するわけですから、
ある程度「リスク」があるだろうとは考えていました。

(実際「アヤシイ人が出てきた」と思われたようです笑)

しかしそれ以上に、私の中に沸々と湧き上がる、
情熱にも似た感情がありました。

「孤独なピアノの先生がもっと手をつないでいける業界に」

個人で教室をされている先生であれば、「孤独な自分」や、取り残されていくのでは
という「不安」を覚えたことが、きっと一度はあるでしょう。

相談したくでもできない、悩みは自分一人で抱え、解決していくしかない。

そういう雰囲気が業界にあることは否めません。

■ピアノの先生が抱える「使命」とは

私が留学を終えて、自分が実際に教室運営を始めてみて感じたのは、
そうした孤独な存在である自分と、

「果たして業界はこれでいいのだろうか」

「我々が目指すべきものの先にたどり着くために
必要なものは、もしかして違うところにあるのではないか」

という部分です。

生徒を良くしたい、人として大切なことを教えていきたい、
ピアノや音楽を生涯の友としてもらいたい。

そうした子供たち(あるいは成人でも)が増えることで、人生に彩りが生まれ、
音楽を愛する人が増え、世の中全体が明るくなっていく。

ピアノ教育という名のもとに、そうした大きな「使命」を
抱えているのが、私たちピアノ指導者です。

ただそれだけのためにピアノを教えている、
と言っても過言ではありません。

■私が起業した「理由」と「存在意義」のかけら

けれども、業界としてその使命を果たすためには、
ピアノの先生ひとり一人の力だけでは小さ過ぎる。

同じ気持ちで取り組んでいる先生方が手を取り合うことで、
小さな輪がつながり、大きな可能性の広がりを生む。

しかも、ただつながるのではなく、それぞれが目指すものを共有し、
お互いが成長し合っていきたいという波長を携えて。

私が起業し、日々情報を発信しているのは、微力ながら
先生方の何かのお役に立ちたい、という思いだけです。

同時に、もしこんな考え方に少しでも共感いただける先生がいるならば、
自分に「存在意義のかけら」を見出せるのかもしれない。

そんな思いを心に、今日も走り続けるのみです。


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